境内は広大で約十万平方メートルあり、このなかに三十あまりの大小の堂塔が建ち並び、楠の巨木をはじめたくさんの樹木が茂り、お遍路さんの姿は跡を絶たない。大師の生家佐伯家は代々讃岐の国造(くにのみやつこ)で、父は佐伯善通卿、母は伊予親王の侍講、阿刀大足卿の妹、玉寄御前。宝亀五年(七七四)六月十五日、いま御影(みえ)堂のあるところでご誕生になった。御影堂の裏手には産湯井が残っている。大師は唐の留学から帰って、大同二年(八〇七)お寺を建立することになったとき、父の善通卿はその邸宅、庭園をそっくり喜捨されたので、その年の十二月に起工し、六年後の弘仁四年、大師の誕生日の六月十五日にすっかりできあがった。父の名をそのまま寺の名として、善通寺が開創されたのである。
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